アユタヤにある「ワット プーカオ トーン(Wat Phu Khao Thong)」は、アユタヤ旧市街の北西約2km、プーカオトーン地区の広大な平野に位置する歴史的な寺院です。
今回は、その壮大な仏塔や寺院の歴史、そして名前の由来についてご紹介します。
Contents
ワット プーカオ トーンの歴史
ワット プーカオ トーンは、ラメースワン王(在位 1369-1370 / 1388-1395)によって、1395年に建立されました。
当時は現在の仏塔(チェディ)は存在せず、寺院の名前も異なっていたと考えられています。
1568年12月、ビルマ軍がアユタヤに侵攻し、翌年8月までにアユタヤは陥落しました。
この戦いの後、ビルマの王ブレング・ヌオン(タバインシュウェーティの義兄)が勝利を記念して、ビルマ様式のチェディを建設し始めましたが、基礎部分のみが完成した段階で王は帰国しました。
その後、アユタヤが独立を取り戻した1587年、ナレースワン王(在位 1590-1605)がこの未完成のビルマ様式の基礎の上に、タイ様式の仏塔を建て、アユタヤの再独立を祝いました。
名前の由来
「ワット プーカオ トーン」という名前は、タイ語で「黄金の山の寺院」という意味です。
この名前の由来は、かつてこの場所に建てられた仏塔が黄金色に輝いていたことにあります。
現在では白く塗られていますが、かつての壮麗な姿を想像させる名前が今も使われています。
ワット プーカオ トーンの見どころ
壮大な仏塔
ワット プーカオ トーンの中心にそびえる仏塔は、80メートルもの高さを誇ります。
この仏塔は、下部にビルマ様式の基礎部分を持ち、上部はタイ様式の美しいデザインで仕上げられています。
仏塔の階段を登ると、頂上からアユタヤの田園風景が一望できるので必見です。
寺院の建築様式
1690年にこの仏塔を訪れたオランダ東インド会社の医師、エンゲルベルト・ケンプファーは、この仏塔について詳細に記述を残しています。
彼によれば、仏塔は四角形の基礎の上に建てられ、各階には美しく装飾された壁と柱が並んでいたとのことです。
また、仏塔の最上部には球体が積み重なった長い尖塔があり、当時の壮麗な姿が伺えます。
仏塔は長い年月の間に一部が崩壊しましたが、その威厳ある姿は現在も健在です。
静かな環境
ワット プーカオ トーンは、アユタヤの主要な観光スポットから少し離れた場所に位置しており、比較的静かな環境で歴史を感じることができます。
観光客が少ないため、ゆったりと散策しながら、タイの過去の栄華と平和な田園風景を楽しむことができるでしょう。
ワット プーカオ トーンの場所
ワット プーカオ トーンはアユタヤ旧市街の北西約2kmに位置しています。
レンタル自転車なら20分ほどなので、少し足を伸ばしてぜひ見学しててください。
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