2012年7月。僕はタイ北部の町チェンマイにいました。当時、大学4年生。バンコクを拠点にタイ→ラオス→ベトナム→カンボジア→タイと東南アジア一周の旅を計画し、旅の道中でタイ北部のチェンマイへと立ち寄りました。
計画した旅のルートで僕が興味をそそられた場所のうちの1つがゴールデントライアングルです。
特に理由はないのですが、当時の僕はなぜか「国境」にとても惹かれていて、その中でもゴールデントライアングルは特別でした。メコン川を境にタイ、ミャンマー、ラオス3ヶ国の国境が存在。この一帯は数十年前まで麻薬の原料となるケシの実の栽培が盛んだったという黒歴史を持ち、絶対に行きたいと思っていた場所だったんですね。
しかも国境にはカジノがあるという情報も仕入れていたので、「こんな冒険心がそそられるような場所にカジノがあるなんて最高じゃないか!」と、僕の気持ちは昂ぶっていました。
そしてついに、チェンマイを発ちゴールデントライアングルへと向かう日が訪れました。
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チェンマイからバスでゴールデントライアングルへ向かう
2012年当時、チェンマイからゴールデントライアングルがあるチェンセーンという町まで走っているバスは1日1本のみ。
バスに乗っていたのは、地元民や僧侶の方などばかりで観光客は僕1人だけだったと思います。
途中、チェンライでしばらく停車するなどして6時間ほどが過ぎたころ。突然、目の前にメコン川が現れました。
メコン川の対岸はラオスです。国境に惹かれていた僕にとってこの上なく冒険心がそそられる風景でした。バスの車中から対岸に見えるのは、周囲の風景に不相応な金色の豪華な建物。ラオス側にあるカジノなのかもしれません…。
メコン川が見えてから10分ほど川沿いを走ると、目的地である国境の街チェンセーンです。
バス停の目の前に建っていたのが麻薬博物館の『オピウム博物館』であったのは、チェンセーンのファンキーな一面です(笑)
後日『オピウム博物館』に入ってみたのですが、麻薬を作る過程や当時の写真、実際に使われていた道具などが飾られていました。
高台へと上がると、タイとラオス、ミャンマーが接している国境エリアが広がっている。
ここが目指していたゴールデントライアングル…。
数十年前までケシの栽培が盛んで、麻薬王クン・サが一帯を暗躍していたエリア。そんな黒い歴史があったことなど信じられないほど、今では穏やかな風景になっています。
ゴールデントライアングル(チェンセーン)の街を散策
チェンセーンに到着してすぐに安宿を確保。部屋は個室で1泊200バーツほど。まず僕は川沿いを歩き、街や国境の様子を見ていました。
すると遠目に見えるミャンマー側にも場所に似つかわしくない赤い豪華な建物が見える。これもおそらくカジノなのでしょう。
川沿いをしばらく歩いたところに、タイのイミグレーションがありました。ここから船でミャンマーへ渡ります。
当時ミャンマー入国にはビザが必要でしたが、一部地域に限り条件付きでビザなしで入国が可能でした。そしてゴールデントライアングルは、その一部地域に入るのかどうかが分からない状況だったんです。
ミャンマーへ渡るのは翌日でしたが、確認のためイミグレの職員に訊いてみました。
「ミャンマー側へ行けるのか?ビザは持っていないのだが…」
彼いわく、カジノへ行くだけならビザなしで行けるという
僕はビザなしでミャンマーへ渡れることが分かりました。
船でメコン川を渡り、ミャンマー側にあるカジノへ行く
翌朝、僕はふたたびタイのイミグレに立ちミャンマーへ渡るための出国手続き。ビザが不要なのでパスポートにスタンプを押されて終わりなのかと思いきや、パスポートのコピーを取られ、そのコピーに出国スタンプをポン!
スタンプが捺印されたコピーを手渡され出国手続きは終了。いったい何の儀式なのか…。困惑するばかりでしたが、パスポートに捺印しないのは出国記録を残さないようにするためだと思います。こんなんで入国していいのかと少し不安になりながらも、スタッフに案内されて船に乗りました。
ちなみに、この時入国手数料として支払ったのは500バーツ(当時のレートで約1250円)。これどうも外国人料金みたいで、タイ人はなんとたった5バーツ。外国人料金とはいえ、100倍もの価格差です…。
船上にいるのは地元の年配女性らしき人が1人だけ。僕が船に乗るとすぐに出発し、数分ですぐにミャンマー側に到着しました。
そこからは待機していたミニバンに乗車しミャンマー側のイミグレへと。タイ出国の際にもらった捺印済みパスポートのコピーを渡すわけですが、これでほんとうに入国できるのか。恐る恐る渡してみると、職員は何事もないかのようにスタンプを捺印! めでたく入国できたのはいいんですが、僕はここでも500バーツの支払いを命じられました。そしてタイ人はまたしても5バーツだけ。外国人料金高すぎるでしょw
カジノではミャンマー美女が僕の専属で付くことに
私が今回、ゴールデントライアングルで目指していたのは『WIN&WIN』というカジノです。
ここのカジノではまず、受付で荷物を預け会員証を作らなければならないのですが、僕が日本人であることを伝えパスポートを渡すと、スタッフがえらく驚いた表情に。よほど日本人が珍しかったのでしょう。というか外国人自体、ほとんど来ないのかもしれません。
スタッフに怪しまれたのか「少し待ってください」と言われましたが、けっきょく何の問題のなく会員証を作ることができました。僕が驚いたのはその後です。
奥からびっくりするような美人女性が登場! カジノにいる間は彼女がずっと僕の世話係をしてくれるというのです。この美女が僕の「勝利の女神」になってくれるのか…。
『WIN&WIN』の施設内はカジノというよりは病院の待合室のような雰囲気。カジノ全体は蛍光灯で照らされとても明るく、至る所でいかにも地元の方らしき年配の男性がカジノに興じています。
そんなに広いカジノとは言えないレベルで、ラスベガスにあるようなカジノとは雲泥の違いがあり、完全に場末のカジノといった感じです。
ゴールデントライアングルのカジノは最低賭け金が安い
ミャンマーへ渡ってくる船で一緒だった年配女性と一緒にプレイしようということになり、我々がまず向かったのはルーレット。プレイしようとしてまず驚いたのは最低掛け金。なんとたったの1バーツ!当時の日本円で2.5円ほどです。
これほど最低掛け金が安いカジノは珍しいでしょう。
年配の女性が一回の掛け金として使っていたのは20〜30バーツほどです。他の人もたいして変わらない額を賭けていたので、掛け金の相場はそんなもんなのかもしれません。僕はといえば、カジノへ行くということを考え前日に1万5千バーツを引き出していたのですが拍子抜け…。
ちなみにアメリカのカジノであれば1ドルや2ドルが最低掛け金であることが多く、感覚的にはミャンマーのカジノの50〜100倍です。
僕はひとまず1回200バーツくらいを賭けてみることに。僕にとっては手始め的な金額でしたが、年配の女性にとってはけっこうな額だったんでしょう。目を見開いて僕を見ていたのが印象的でした。
そのあとは1回あたり20バーツほどを賭けつつ、カジノフロアの様子を観察することにしました。
しばらくルーレットで遊んだあと、世話係の美人女性にカジノ内を色々案内してもらいましたが、僕が主戦場とするポーカーは見当たりません。
ここのカジノではポーカーは諦め、スロットをプレイすることにしました。僕は1000バーツをスロットに投入。1回3バーツ(約7.5円)を賭けながら、再度カジノフロアをずっと見ていました。
『WIN&WIN』のフロアにいるのは、お世辞にもおしゃれとは言えない地味なジャケットを身にまとい、タバコを吹かしながらバカラをプレイしているおじさんたち。ルーレットに数十バーツを賭けながら一喜一憂する年配女性などなど。
フロアにいた20人ほどの彼らを見ていると、カジノに行けば時々見かける「とんでもない金額を賭ける」人はいませんでした。まぁ、大金を賭けられるような人が、こんな場末感に満ち溢れたカジノには来ないでしょうが…。
僕はといえば格安スロットを回して当たったり負けたり。勝ったところで数百バーツの勝負です。僕にとってはそこまで嬉しくなるような額でもありません。
そんなことを思いながらしばらくスロットを回しつつフロアの様子をずっと眺めていました。
想定外の大当たりを引き大勢に囲まれる
「スロットを回す」とはいっても頭を使う必要はなく、ただ指でボタンを押すだけなので、僕はスロットの画面すら見ずフロアに視線をやりながら、ボタンだけをひたすら押していました。
すると突然スロットマシーンから爆音発生! 何事かと思ったらどうやら大きいのが当たったようです。
賞金の数字がみるみる増えていき、スロットマシーンに入れた1000バーツは軽く超え、5000バーツを超えていました。
スロットマシーンから爆音を響かせているのが珍しいのか、いつの間にか僕の周りにはたくさんの人が集まり、みなさんから僕に向けられているのはヒリヒリと焼けるような熱い視線。そして彼らの口から出てくるのは「いくら当たったんだ?」「ちょっと俺も分けろよ!」といった、臆面もないカツアゲ発言です。
1バーツや2バーツを賭けて目を血走らせていた人たちから見れば、5000バーツは超大金でしょう。だからといって勝ち金にたかってくるのもどうかと思うのですが、地元の人たちも多いこのカジノで、彼らを刺激するような表情や行動を見せることは慎まなければなりません。
これは潮時だな。そう思い、世話係の美人さんに帰ることを伝え換金。カジノを出ようとしたところ船で同乗した年配女性に声をかけられました。
「少しお金ちょうだいよ。案内してあげたでしょ?」
確かにここまで来るのに1人だと正直不安だったし、この人がいたから不安が和らいだのは事実。というわけで、200バーツを渡して「Good Luck!」と言葉を残して別れました。
どうやらこのカジノでは、数千バーツ勝った人には「たかっていい」という暗黙のルールがあるようです…。
ゴールデントライアングルの治安は悪くない
帰りもミニバンに乗り、ミャンマー側のイミグレではパスポートコピーにスタンプをもらい、船でタイ側へ渡りました。
タイ側でもスタンプをもらうのかと思い、パスポートコピーを渡したらそのまま回収されて終了。これで僕がミャンマーへ入国したという事実は消えてしまいました。
ゴールデントライアングルは過去に麻薬の生産地として名が知られており、以前は治安が良いとは言えない場所だったでしょう。
しかしそれは昔の話。20年ほど前からタイでは、北部の麻薬撲滅作戦を遂行しケシを栽培する農家はほぼ撲滅され、ゴールデントライアングルに含まれているチェンセーンものどかな町になっています。
しかし、ミャンマー側やラオス側ではいまだに麻薬産業が続いていると言われており、立ち入るなら最新の情報収集は必須です。
小田遼太郎のブログ:https://freestyle-traveler.com