日本で唯一のタイ地獄寺研究家 椋橋彩香が魅せられた「タイの地獄寺」とは

日本で唯一のタイ地獄寺研究家 椋橋彩香が魅せられた「タイの地獄寺」とは

はじめに

 タイには「地獄寺」と呼ばれる寺院がある。カラフルでキッチュなコンクリート像が立ち並ぶ、なんとも風変わりな寺院だ。日本では「珍スポット」「B級スポット」などとして知られ、一部のマニア内では有名である。

 私は2013年3月、はじめてこの地獄寺を訪れた。アントーン県にあるワット・ムアンという寺院である。ワット・ムアンには、十数メートルはある巨大な亡者の像をはじめ、責め苦を受けている亡者の像が何十体も並んでいた。その空間に自分が入ることにより、あたかも地獄へ足を踏み入れてしまったかのような錯覚に陥った。今まで日本で見てきたような古い地獄絵などとは異なった、まったく新しい地獄を目の当たりにしたのである。以降、私はすっかり地獄寺に魅入られ、美術史学の分野から研究を進めている。

 2016年から本格的に調査をはじめ、立体像だけでなく地獄絵をもつ寺院を含め、本記事執筆時点で41県84か所の寺院を訪れている。

タイの地獄寺とは?

 タイは人口の9割以上が仏教徒であり、仏教は人々の生活に欠かすことのできないものである。現在、タイには約3万の寺院があるといわれており、そのうちに立体像をもって地獄をあらわしている寺院が存在する。これがいわゆる「地獄寺」である。冒頭で紹介したように、地獄寺ではあらゆる責め苦を受けている罪人の像がつくられ、その数は一寺院で数十体~数百体に及ぶ。そして実際に参拝者がその空間に足を踏み入れることにより、地獄を疑似体験できる構造となっている。

 タイの地獄寺がはじめにつくられたのは、今から60年ほど前のことである。そこから徐々に増え続け、現在わかっている限り、立体像で構成される地獄寺の数は70か所近くになった。これらの地獄寺は地域を問わず、タイ全土に点在している。また、地獄寺の僧侶たちに制作理由を問うと、みな「教義・教育のため」につくったと答える。平たくいえば、「悪いことをすると地獄に堕ちます、そうならないように仏教の教えを守りましょう!」ということだ。つまり、仏教の教えを視覚的にあらわすことにより、老若男女に善行を促しているのである。

地獄寺の住人たち

 地獄寺では、亡者が地獄釜で煮られていたり、棘の木に登らされていたり、私たちが「地獄」と聞いて想像するような光景が広がっている。しかしながら、タイの地獄寺はそれだけにとどまらない。他にも、頭がなく身体に顔がある無頭人や、頭が動物になってしまった獣頭人身の亡者、まるでオバケにしか見えないような異形の亡者など、ありとあらゆる亡者が住んでいるのである。そして彼らはみな、生前に罪を犯し、死後に罰を受けている者たちだ。たとえば、生前に酒を飲んで他人に危害を加えた場合、死後は熱された液体をひたすら飲ませ続けられる。また、豚を殺した者は頭が豚となり、まるで肉屋のように台上で身体を切り刻まれる。このように地獄では、生前の罪が死後そのまま自分に降りかかるのが大原則だ。この点を注意して見てみると、地獄めぐりもより理解が深まるだろう。

進化する地獄

 地獄寺では「地獄釜」「棘の木」などの伝統的な地獄表現に加え、近年「バイク事故」「薬物乱用」「環境破壊」といった表現も見られるようになった。特に顕著な例は、「ヤーバー」という覚醒剤の使用を表現した像である。ヤーバーは1970年代まで、タクシー運転手などの間で眠気覚ましとして合法的に使用されていた。地獄寺にはこのヤーバーを使用した薬物中毒者の像や、彼らによって引き起こされたバイク事故の像がつくられている。また、チェーンソーを片手に罪人に責め苦を与える木の精霊の像などもつくられ、この像は急速な経済成長による環境破壊に警鐘を鳴らしている。これらの表現は伝統的な地獄表現には見ることのできない、まったく新しい地獄表現である。

 地獄寺を単なる「地獄テーマパーク」として捉えればそれまでだが、このようによくよく表現を見ていくと、一時の好奇心でつくった場所では決してないことがわかる。仏教が生活に浸透している国であるからこそ、地獄表現も現代の生活を色濃く反映したものになるのだ。私をふくめ、日本人は地獄というと「地獄釜」「棘の木」といった空想上のものしか想起できず、どこか現代の生活とはかけ離れたものであると考える。しかしながら、タイ人の地獄はいつも身近にあり、今もなお進化し続けている。おそらく今後も、新しい地獄表現が次々と考え出されることだろう。

おすすめの地獄寺 ―バンコクから日帰りでめぐる地獄寺三選

 さいごに、バンコクから日帰りでめぐることのできる地獄寺を3か所ご紹介したい。

ワット・パイローンウア(วัดไผ่โรงวัว)

まず一番に行くべき有名な地獄寺は、やはりスパンブリー県にあるワット・パイローンウアだろう。バンコクから車で3時間ほどの場所にあるワット・パイローンウアは、数ある地獄寺のなかでも比較的古い1970年代に完成した地獄寺である。亡者の個性が豊かなことも特徴で、その数は700体以上にのぼる。また、ワット・パイローンウア最大の特徴は今もなお増築され続けていることであり、何度訪れても亡者の数は増えている。なんだか成長を見守っているかのような気持ちになれる、現在進行形の地獄寺である。

地獄寺のランドマークともいえる巨大な亡者の像。彼らは仏教でいうところの餓鬼であり、常に空腹で飢えているという

ワット・パイローンウアには700体以上の亡者の像が並んでいる。ひとつとして同じ像はなく、どれも個性にあふれている。お気に入りの像を見つけるのも楽しみのひとつである

巨大な棘の木の像。棘の木に登らされているのは浮気をした男女の亡者。犬や鳥にも追い立てられている

ワット・プートウドム(วัดพืชอุดม)

 パトゥムターニー県にあるワット・プートウドムは、現在わかっている限り最も古い地獄寺である。ワット・プートウドムの地獄空間は、他の地獄寺と異なり、寺院の地下に存在している。それは赤と青の照明に照らされた、さながら見世物小屋のような、海底洞窟のような異世界だ。亡者たちの多くは電動式であり、みな不穏な音を立てて動いている。なかでも陽気に自転車に乗っている電動式ガイコツと、マッカリーポンという名の美女果は、ワット・プートウドムのメインキャストである。
「このガイコツ見たことある!」
という方も多いのではないだろうか。また、ワット・プートウドムの地獄空間は暗いので、毎回「こんなヤツいたっけ…?」となる。何度めぐっても楽しめる地獄寺だ。

ワット・プートウドムの地獄空間。地下にあるこの地獄は、ジメっとしていて不穏な空気が流れている

地獄釜で煮られている亡者たち。真っ赤な照明も相まって、亡者たちの苦しむ様子が伝わってくる

ワット・プートウドムのメインキャスト、自転車ガイコツとマッカリーポン。自転車ガイコツはコインを入れるとシュールに動きはじめる

ワット・ムアン(วัดม่วง)

最後は、冒頭で紹介したワット・ムアンである。ワット・ムアンの地獄はきれいに区画分け・説明書きがなされていてめぐりやすい。巨大像や地獄釜、棘の木など基本的な地獄要素は揃っているので、初心者にもおすすめだ。そしてワット・ムアンは、地獄以外にも見所が目白押しである。本堂は全体が鏡張りという夢のようなつくりになっていて、細かく敷き詰められた鏡片が陽の光に反射する光景は非常に幻想的である。また、本堂脇にある可愛らしい大きな蓮弁エリアは花弁1枚1枚が墓になっている。さらには世界最大級の大仏もあり、あまりにも大きくて全体を撮るのが難しいほどだ。この大仏の指先に触れるとご利益があるらしく、皆こぞって触っている。

このように、地獄寺にはバンコクからでも気軽に行くことができる。そこにはタイ人の想像したオリジナリティ溢れる地獄が存在していて、いくつ訪れても飽きることはない。ぜひとも生きているうちに、地獄めぐりを体験してもらいたいものである。

世界最大級の大仏。その手先には触れることができ、ご利益を受けようと参拝客が並んでいる

ワット・ムアンにも巨大な餓鬼の像が並んでいる。この像は度々衣替えをするらしく、以前は黄色やオレンジ色の腰巻をまとっていた

 

椋橋彩香さん著作「タイの地獄寺」発売!

タイ地獄寺研究家の椋橋彩香さん著作『タイの地獄寺』が青弓社から発売されました。
タイの地獄寺を愛し、研究し続けている彼女だからこそ執筆できた著作。 これを読めば地獄寺への興味がさらに深まると思います。

「タイの地獄寺」
書店発売日:2018年10月15日
著者:椋橋彩香
A5判  160ページ 並製
定価 2000円+税

本著は青弓社のウェブサイトからご購入いただけます。
https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787220783/

【告知】12月22日開催 日本で唯一のタイ地獄寺研究家との合同企画 タイ地獄寺3つを巡る極楽ツアー

日本人で唯一、タイの地獄寺を研究している椋橋彩香氏。 彼女と共にタイの地獄寺を巡るツアーを企画しました。
日本でもっとも地獄寺に詳しい椋橋氏の解説やお話しを聞きながら、バンコク近郊の地獄寺を巡ります。

開催日程は2018年12月22日(土曜日)。詳しくは以下ページをご覧ください。

https://tripull.asia/tour/jigokudera/

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椋橋 彩香の画像

椋橋 彩香椋橋彩香(くらはしあやか) 1993年東京生まれ。早稲田大学大学院文学研究科にて美術史学を専攻、タイ仏教美術における地獄表現を研究テーマとする。2016年修士課程修了。現在、同研究科博士後期課程在籍。タイの地獄寺を珍スポットという観点からだけではなく、宗教的・社会的また政治的な要因が複合してうまれたひとつの「現象」として、また地獄表現の系譜において看過することのできないものだと捉え、フィールドワークをもとに研究を進めている。 【Twitter】 https://twitter.com/jigokudera https://twitter.com/narok___ 【ブログ】 http://apartment-home.net/author/narok/

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